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ナ チ ュ ー ル

ナ チ ュ ー ル

カーボンナノチューブ

化学同人から「カーボンナノチューブ」が出版されたのは、約10年前だ。(2001)

久しぶりに、手にとって読んでみた。

その巻頭は、飯島教授のインタビューで始まっている。

そのなかの一節にネーミングについてのくだりでは、91年の「ネイチャー」の論文では「マイクロチューブ」という表現で、それに対してスモーリーらは、「バッキーチューブ」といっていた。

マイクロチューブは、既に生物関連で使われていたので、「カーボンナノチューブ」と命名し直して、この名前を懸命に宣伝したというエピソードが記載されている。

その甲斐あって、「バッキーチューブ」は、消えていった。

現在では、カーボンナノチューブ (CNT) が定着している。

飯島教授の論文を見てみると

1991年の論文は [microtubules]と表記され
"Helical microtubules of graphitic carbon",

1992年は [carbon nanotubes] で出されている論文は、二件

1993年の単層 [carbon nanotubes] 発見時の論文は
"Single-shell carbon nanotubes of 1-nm diameter",

と [carbon nanotubes]で表記され
その他の論文も[carbon nanotubes]となっている。


2001年に化学同人から発行された化学フロンティア「カーボンナノチューブ ナノデバイスへの挑戦」の巻頭インタビュー「飯島澄男教授に聞く」


--:ところで、カーボンナノチューブという命名ですが、91年の「ネイチャー」の論文では「マイクロチューブ」という表現を使っていますね。

飯島: ええ、そうです。スモーリーらは初め「バッキーチューブ」と言ってましたので、NECで見つかったから「NECチューブ」とか、いろいろ考えました。ところが、最初のマイクロチューブは実は生物屋さんがすでに使っていたので、「カーボンナノチューブ」と命名し直したわけです。確か2番目の論文か、どこかに書いたはずです。

--:なるほど、それで現在、カーボンナノチューブと呼ばれるようになった。

飯島:ネーミングが大切だと思って、いろいろ戦略を考えました。それも強力な相手スモーリーのバッキーチューブにやられちゃいけないというんで、一生懸命宣伝したんです。




● 多層CNT発見

飯島教授が、名城大学の安藤研究室を訪れたのは、1991年4月だった。安藤研究室では、1991年初頭から、フラーレンの大量作製に取り組んでいた。飯島教授の目に入ったのは、陰極電極であった。関心は、フラーレンの生成の解明にあつた。

NEC基礎研究所に持ち帰った陰極電極の堆積物を透過型電子顕微鏡で見ていた。
陰極側の炭素棒の様子の写真を見ていた飯島教授の目は、タマネギ構造以外のあるものに釘付けになった。
多くの針状の結晶の姿が写っていたのだ。今日、世界中の注目を集めるカーボンナノチューブ発見の瞬間だった。

飯島教授は、さらにこの針状物質の電子線回析の実験を進めた。そして出された結論は、炭素の六員環が円筒螺旋状に配列しているとのものである。

1991年 11月 7日 ネイチャー誌に発表  「グラファイト状炭素のヘリカルなマイクロチューブルス」

多層カーボンナノチューブの論文を発表した1991年は、フラーレンの超伝導フィーバーの真っ直中だった。

飯島教授が、多層カーボンナノチューブの発見から、単層カーボンナノチューブの発見に至るのには、二年を要した。




名城大学の安藤教授は、名城大学ホームページで、こう書いている。
(http://www.meijo-u.ac.jp/tatujin/16-30/21.html)
 1991年4月から、非常勤講師として来てもらっていました。理工学部学生のための物理実験が日曜日にあり、月1回、指導のため足を運ばれていたからです。1991年初頭から、私たちの研究室ではフラーレンの大量作製に取り組んでいました。フラーレンは1985年に世界で初めて発見された、炭素原子60個がサッカーボールと同じ球形に結合した巨大分子です。それはカーボンナノチューブと構造が似ており、これまでに全くなかった物理的性質、化学的安定性を持っています。飯島先生は、私たちがフラーレン作製のために実験で使った後、机の上に放り出されてあった電極に大変興味を示され、「これを持っていって電子顕微鏡で調べてもいいですか」と持ち帰りました。「これはノーベル賞級かも知れない」と、興奮気味の飯島先生が、カーボンナノチューブの発見をイギリスの科学誌「ネーチャー」に発表されたのはその年(1991年)の秋でした。

「カーボンナノチューブの発見と高分解能電子顕微鏡」 応用物理 第77巻 第10号(2008)
この対談の中での一節

飯島:そうです.それで,90年にフラーレンの大量合成で超伝導.物性関係はすごいと,みんな興奮したときがあったのです.そのほとんどの研究者が C60,メタルフラーレンに集中した.IBMの連中はフラーレンの中に鉄を入れる,要するにメタルフラーレンを作ろうとしてアーク放電をやっていたら,何かクモの巣ができて,それを偶然調べたら単層のナノチューブだった.われわれのは両方とも偶然,セレンディピティアスで.もう一つその関連でいうと,1980年にケンブリッジ大学にいたときに書いた論文があって,オニオン(タマネギ状に成長した球面状グラファイト)の話です.あの論文はよく見てみるといろいろな面白いことが書いてある.ひょっとすると,フラーレンは私が見つけたかもしれない.クロトーの 5年前に.

中山:五員環が 12個あって,というのはその論文の中に書いてあるのですか.

飯島:アペンディックスに書いています.丸くするには五員環が 12個なくてはいけない,と書いてある.

中山:そうですか.これは,やはりノーベル賞財団の見落としですね.


参考
「飯島澄男の挑戦」 JST NEWS vol4 no8 (2007.11)
「カーボンナノチューブの発見と高分解能電子顕微鏡」 応用物理 第77巻 第10号(2008)





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